釜石の人

釜石駅前にある大島高任像

釜石駅前にある大島高任像


大島高任(1826-1901)


盛岡藩侍医の長男として生まれ、大橋と橋野に高炉を建設後盛岡に戻り蘭学、英語、医学、物理、化学、兵術、砲術などを教える日新堂を開設し、維新後には岩倉使節団にも同行する。1890(明治23)年に日本鉱業会の初代会長に就任し、後年、那須野の開墾と那須野葡萄酒の醸造にも関わる。八幡製鉄所の操業に尽くした道太郎は、高任の長男。


井上ひさし(1934-2010)と母マス


山形県小松町(現川西町)生まれ。上智大学に在学中、夏休みに母が住む釜石に帰省して休学し、国立療養所に務めながら2年余りを過ごした。以後、兄滋が住む釜石を度々訪れたが、地元住民の「ひょっこりひょうたん島のモデルは三貫島か」との質問にただニコニコ笑うのみだったという。母マスも随筆家で、テレビドラマの原作となった「人生はガタゴト列車に乗って」は、戦前戦後の混乱期をたくましく生きていく自身の自叙伝。


大瀧詠一(1948-2013)


岩手県梁川村(現奥州市)生まれで、シンガーソングライター、作曲家、プロデューサーなど様々な顔を持つミュージシャン。母が教師だったため小学校で江刺から遠野、中学校では遠野から釜石に転校し、高校の時には花巻北高校から釜石南高校(現釜石高校)に編入し、初めて「スプレンダーズ」というバンドを組んでドラムを担当していた。


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